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12月19日日曜日
相方先生がkdhに到着
明日から日本人のグループが来るらしい。
アシスタントをさせてもらうことに。
有り難いことにMEさんがボーガル先生から許可をとりつけてくれた。
しかし、自分は校長先生とはいえ単一の許可を信じられない。
また卒業時期になってから「校長先生と相談するから。」では予定が立たない。
自分は、許可を取りつけてから行く事に。
それまでは、時間的に問題無い時に。
深夜に、修学旅行から生徒たちが帰ってくる。
明日から、また講義です。
12月20日月曜日
日本人グループが到着。
明るい人々。
15人ということ。
若々しく元気な人々。
大阪と東京からということ。
ラジニーシにアシスタントの件を確認。
案の定知らないらしい。
アシスタントの件の許可を渋る。
最終的にボーガルジが許可を出すかも知れないが
他の皆に不愉快な思いを残しそう。
根回し。
皆が、まあまあ不愉快な思いをしないように。
そうすれば、無理が出ない。
無理しなければ上手くいく。
しかしながら、ボーガルジが居ないので
オフィスのティワリさんに許可を貰う必要があるということ。
スワミジに相談したり。
明日に提出することに。
12月21日火曜日
ティワリさんにアプケーションを提出
忙しい様子。
明日、取りにきて。とのこと。
確認がとれるまで、相方先生のレクチャーは覗いて一寸片付け程度。
本来の講義と重なる時間は取らないでおく。
どうひっくり返るか分からないから。
毎度の事ながら相方先輩(彼が先生と呼ばれるのを嫌うのだ。)のレクチャーは
非常に良く纏まっていて分りやすい。
話が大分脱線?しても全然余裕でレクチャー。
いつも流石だなあ。と感心してしまう。
ちょいと、深夜に人生相談。
人生の先輩の知恵。
サプリメントが補充された感。
療養目的もあったが
行き詰まりの打破のため
そう思って来たkdh
というか、インド。
構築するべきものを思案する。
12月22日水曜日
実は、自分、日本で結構俗に言う
超能力者ってのには会っている。
彼らは、人間のロマンの一つである
秘かに憧れる人も少なくなかろう。
しかしながら、彼らの実際は大概の場合
う~ん。と首を捻らざるを得ない。
結局、大勢の彼らは宴会芸なのだ。
コップの水を沸騰させられる
ソーダなどから炭酸がぬける
スプーンが融けるように曲がる
何年か後の自分が通る道の目印が分かる
タバコの味が無くなる等々。
時に強力なのに会うことはあるが
彼らは、制御出来なかったり
自分の能力を良く思っていない。
まともに、生活の邪魔にならず、役に立つ能力を持っているのは
超能力者と呼ばれる人の中でも極々一部だろう。
下手に能力を持っているために
それに縛られ、チャッチな能力にすがり
まともに生活できていない人間は少なくない。
彼らは不幸であろう。
道を修行する人々もまた然り。
中途半端に不思議な事に手を出す人は
時間を無駄にするか
精神を余計に病む。
現実逃避だけで済むのは幸運な人だと思う。
そして、幸福な人生の道も修行の道も
塞いでしまう罠がゴロゴロしている。
そして、その道の達人が必ずしも幸せではない。
超能力や修行で得た能力だけでは、人は幸せにはなれまい。
智慧が無ければ、屠龍の技だ。
方向性が違うよ。
本人が幸せなら良いんじゃない?
と言われるかも知れない。
しかし、自分は納得も諦める事も出来なかった。
インドの思想は日本のそれより現実的に思えた。
平凡な人でも
優秀な人でも
劣った人でも
何らかの道の人でも
宗教(新興のそれに限らない)に惑う人々にも
超能力に惑う人々にも
何か良い道が有り得る様な気がした。
自分にさえも良い道があり得る気がした。
だから日本で「ヨーガなのに何で学校なの?リシケシとかじゃなくて?」
と言われたりもしたけれど
kdhに来たこと、さわりの部分だけでも触れることが出来たのは
幸運だろうと思う。
そして、相方先輩との話で、大外の人生哲学の大枠の材料は手に入った様に思う。
人生経験と、古来からの智慧。
元々、行き詰まりを感じてのインドという事情もあったので。
少々のハードな生活に潰されたり、打ち負かされない
骨組を手に入れられれば。
目的はほぼ達成したのではないか?と思う。
12月23日木曜日
ここ数日
相方先輩の講義を見学、参加
手伝いって程の事は何も
本当に、勉強の機会を与えてくれたのだと思う。
シュルツなんかの話が出た時は
ちょっとビックリしたが
日本の人に向けての講義というケースで
非常に纏まったカタチというかスタイルというか。
先代のガロデ先生から受け継いで
消化、昇華、最適化したものと思うが
かなり吃驚。
自分、多人数に向かってのレクチャーはほぼ未経験。
所謂一つのお手本。
有り難い機会、経験をさせて頂いた。
ウッディヤナバンダの効果を再確認。
未だ上手くは出来ないが(ナウリがまだ出来ていないのが証拠)
これは、毎日続ける意欲が沸く威力。
目指せ、踊る腹(ナウリ)
12月24日金曜日
今日は、日本の皆さんの前でアーサナを
くくく。脚震える。
うあ~要練習。
ここのところ、怪我とか病気とか
アヴャーサ分が低いからなあ。
年明け位からアンカンと特訓でもするかぁ。
クリスマスということで、カルンら数名がケーキをソーハムクティに持ってきてくれる。
おお、クラスメイトよ有難う。
そして、キリストさん有難う。普段邪見にしてて済みません。おかげでケーキ食えます。
夜、スワミジの所で、日本人の方々とおしゃべり、もとい質問会。
自分も質問する。
以下、心情のうざったい吐露
ちょいと、自分の話をする。
破綻もあるかも知れない。
馬鹿じゃねえの?と思うかもしれない。
ウザイと思う方は読み飛ばして下さい。
拙いブログを読んで下さって有難うございます。
許されたし。
昔、群盲の象の話を聞いて
おお、然り。と思った。
曲解したのか
更にそれなりに考えてると
多分、人は、物事を大概一面的な認識しかしないが
実は、物事は多面的なものなのではないか?
と考えて。
そう思うのは、人が側面を認識するという認識の仕方をするからで
実際は、サイコロの様なモデルか
球の様なものに定規を置く様な方法で認識するからではないか?
と更に考えて
じゃあ、物事に対して多面的認識が出来るってことだな。と思った。
それじゃあ、多層的でもあるんじゃないか?と思って
そう思ってから、どうも人を憎み切れなくなった。
ところが、しばらくして
実際に自分が敵意やら、悪意やら、無意識に正当化された「思い知らせてやる」
等から、総攻撃を受けた。
まあ、自分は、否定する類の御節介なんかは、純粋に善意では出来ていないと思っていて
その上で、自分の足しになれば受け入れよう。という傲慢な事を考える傾向もあるし。
どんな形であれ、自己正当化、自己防衛は自己を守るための
人間に当然に許された権利だと思っている。
許されてなければ、それは奴隷以下だろう。
だから、自分が相手側の人格を否定しなくても
否定される事は当然仕方がないと思っている。
が、実際にそのリミットを越えてしまうと
自分も、相手側を否定し、憎悪せざるを得なくなった。
正当な自己防衛と思う。
しかし、結果として、酷く憔悴した。
何か、自分の求めている何かには足らないと思った。
幸せってのは、良く分らん。
世間で尊ばれる所謂、愛ってのも定義的に良く分らんし
言われるほど良いものと思えない。
恋ってのもそうだ。
だけど、そういった手段を用いて皆、幸せになろうとしている。
いろんな手段を用いるが、皆その方向へ行く事を望む。
ちょっと別ベクトルの人も居るけど、なんらかの達成を目指している。
何かが達成できるという事は、一種の幸せだろう。
それらは、単純に快とは言えないものの様な気がする。
単純に欲望が達成されることも、幸せとは言えない気がする。
自分もまたそれの周辺を目指しているのだろうと思う。
幸せとは何か?
幸せになるためには?
そんなこんなで自分がスワミジにした質問。
実はそれなりに真剣だった。
「世間一般の人々が、幸せになるためにはどうしたら良いですか?
根本法から具体法を話して下さい。」
「自分と自分以外の人を幸せにするにはどうしたらよいですか?」
日本で、この質問に
地に足付いた現実的な無理なく
納得出来る方法を答えられた坊主やら行者やらは
非常に少ない。ほぼ皆無。
かなりの無茶振りだったかも知れない。
スワミジのその答えは非常にインドらしいもの。
日本では先ず宗教者からは得られない
日本人にもサッとは受け入れ難いもの。
しかし、当然な答えだった。
スワミジ本人の考えというより
インドの伝統的な哲理なのだろう。
インドの哲理に期待がもてた。
これからも、勉強を少しずつでも続ける価値はありそう。
12月25日土曜日
日本からのグループがkdhを後にする。
皆さんに幸あれ。
バカなことばかり考えていたからか朝から体調がおかしくなったので
泣く泣く長時間睡眠をとる。
意外とスッキリした。
相方先輩とMEさんがドアをノックしてくれたので飛び起きて
「PYSのプライベート講義やるからどうですか?」と言われたので飛びつく。
今日はPYSに直接は行かなかったけれど、インド文化、学問の概要等々をじっくり説明して頂く。
ダルシャナや、ヴェーダの周辺等非常に分りやすく話して頂いた。
そうすると、ヨーガとは?ハタ・ヨーガはどういう位置づけなのか?大体理解。
スートラって何?っていうのを理解。
kdhの講義で「こういう意味。」という説明も
インド的常識はすっ飛ばして説明されていたのが分かる。
こう、聞けば答えが出てくる人というのは、非常に有り難い。
しかし、聞けば、何でも答えてくれる。納得させてくれる様な甘い考えはいかんよなぁ。自分。
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